まちゃつの徒然日記

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三島由紀夫(2)

20歳までを追った5/1(土)付日記の続き。本名は、平岡公威(ひらおか・きみたけ)。自衛隊幹部に決起を促し、45歳で自決。歴史に「たら」は禁物。だが、せめて古稀まで存命していれば、と惜しまれる。華麗な文章をどれ程生み出したことか。山中湖畔にある三島由紀夫文学館に依れば、1946(昭和21)年に「煙草」「中世」の原稿を持参し鎌倉の川端康成邸を訪問。年末にダンスを習い始めている。三島は1925年1/14の生まれだから、年齢と昭和の年数とが一致する。22歳の7月、高等文官試験を受け12月には旧大蔵省に入省。この頃太宰と会っている。23歳を迎える年の正月2日、年始の挨拶で川端邸に赴く。7月、渋谷駅で線路に落下。勤務と執筆に因る過労が原因らしい。職業作家となることを父親が許すきっかけになったという。目についた作品を列挙する。24歳「仮面の告白」、25歳「愛の渇き」「青の時代」、26歳「禁色」。翌年の5月にかけて世界を一周。朝日新聞の特別通信員として、ハワイ、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ニューヨーク、マイアミ、サンファンリオデジャネイロサンパウロジュネーブ、パリ、ロンドン、アテネ、ローマに滞在。27歳「秘楽(ひぎょう)」の連載開始。28歳「潮騒」の取材で神島へ出かける。29歳「葵の上」。30歳「金閣寺」の取材。ボディビルを始める。31歳「金閣寺」。ボクシングを開始。32歳「鹿鳴館」「美徳のよろめき」。33歳、川端康成夫妻の媒酌で杉山瑤子と結婚。剣道を始める。34歳「不道徳教育講座」。35歳「宴のあと」。翌年1月にかけて夫人と世界旅行。36歳、「憂国」。37歳「美しい星」。長男誕生。38歳、「午後の曳航」。39歳、「絹と明察」。40歳、「春の雪」。41歳、「英霊の声」。42歳、「奔馬」。43歳、「文化防衛論」。45歳、「天人五衰」。ひ弱な体を改造。筋力増強だけでは満足せず、俊敏さを求めてボクシングや剣道に邁進。三島がひたすら肉体改造に取り組んだのは、1970年11月25日のためだったか。疑念を打ち消せないまちゃつである。


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『まさか闇(マサカヤミ)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:阿倍仲麻呂の和歌にも詠まれた。