まちゃつの徒然日記

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岡倉天心

東京美術学校(現東京芸術大学)の設立に貢献した人物である。1863年2/14横浜に生まれる。幼名は角蔵、本名は覚三。生家が貿易商を営んでいた縁で、ヘボンの開いた英語塾に通う。英語は非常に達者だったが、日本語の習得が遅れ県境の標識さえ読めなくなる。その為に長延寺に寄宿し住職から漢学を習う。1873年、一家とともに東京に引っ越し、東京外国語大学入学。この年齢で「官立」の大学に入る!! 1875年、13歳で東京開成学校に入学。1877年、開成学校は東京大学となり、天心は一期生として文学部に入学。1878年、フェノロサ来日。東大で知り合い、助手として美術品の収集にあたる。東大卒業後、月給45円の高給で文部省音楽取調係となる。上司と折り合いが悪く、1年後美術関係の仕事に移籍。後に東京美術学校校長。1904年、ボストン美術館に招かれる。日本画3千6百点、蒔絵5百点、金箔工芸品2千点、浮世絵2万点などの整理にあたる。ボストン美術館だけでこれだけ収蔵できたということは、おびただしい数の国宝が国外に流出した悲しむべき時期とも言えるだろう。幕末・維新の負の面か。著書(英文)『東洋の理想』『茶の本』など。1913年9/2新潟県の山荘で没。


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『勝たんと、づらかるね(カタントヅラカルネ)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:渋滞の先頭。