まちゃつの徒然日記

まちゃつのブログです。はてなダイアリーから引っ越してきました。

青函連絡船・洞爺丸

1954年(昭和29)の台風15号は、奇妙な台風である。一つ、九州に上陸し中国地方を駆けぬけた後に中心気圧が発達(上陸時の965hPaから956hPaに低下)! 二つ、猛スピード(100km/h以上)で日本海を北上後、北海道手前で足踏み! 三つ、進路前方に当たる函館では、再接近直前に台風の目を思わせる無風状態の晴れ間を生じさせた! そのため、通常は台風の被害が少ない北海道で、大火災や連絡船の転覆などの大災害を引き起こす。日本列島接近後早い段階で、熱帯低気圧から温帯低気圧に変わって発達したとの見方もある。転覆した連絡船は5隻。1155名の犠牲者を出した貨客船・洞爺丸の外にも、連絡貨物船の日高丸、北見丸、十勝丸、第十一青函丸の4隻が沈没し、乗組員276名の犠牲者を出している。青函連絡船は外洋航路扱い故、3階級の船長がいた。乗り組み船長(船員の人事権を持つ)、乗り組み船長が公休の際に操船する専属船長(人事権を持たない)、乗り組み、専属の両船長とも公休の際に操船する予備船長(最上位のベテラン)である。洞爺丸を当日操船した、近藤船長のあだ名は「天気図」。常に最新のラジオ情報から天気図を自ら描く気象通であったからだ。もちろん予備船長である。常に船長の意図通り、乗組員が完全に大型船を動かせる訳ではない。天気も毎日変化する。どんな船長でも、1度や2度は着岸が荒っぽくなり岸壁にゴッツンくらいはあったらしい。だが、荒れた天気でも、近藤船長の操船は神業であり、静かな着岸で有名だった。発見された近藤船長の遺体は、救命胴衣無し。両手に双眼鏡を握ったままだったという。


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『ウチ、必要?(ウチヒツヨウ)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:学期毎に出る。