まちゃつの徒然日記

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中尊寺

藤原清衡(きよひら)は、奥州藤原三代の祖である。7歳で父(経清)を殺害され、31歳の時には戦乱の中で妻子を殺されている。戦をなくしたい。その為には、東北の地に高い文化と教養を根づかせ、戦乱の中で落命した敵・味方、動物から1本の草木に至るまでを供養したいという痛切な願いを抱くようになったという。50歳で平泉に中尊寺造営を開始。69歳で金色堂の上棟にこぎ着けている。保元の乱が始まる32年前であり、平清盛太政大臣の地位に就くのは43年後のことである。清衡のそんな願いを念頭に金色堂に入れば、螺鈿(らでん)細工、蒔絵(まきえ)、透かし彫りなどおろそかには見られない。もちろん、日光東照宮の絢爛豪華とは比較の対象にさえならない。家光の時代より500年以上も前に建立されているのである。我々にとっても500年後、西暦2509年の生活を想像するのは容易ではない。まちゃつは歴史に興味がある方ではなかった。ところが、芭蕉が涙を流したのと同じ場所に立ち、周りの風景を眺めた時、義経を保護した秀衡や芭蕉について強く知りたいと思うようになっていた。先祖が芭蕉と同郷であるからか。芭蕉が座ってから、まだ285年しか経っていない日の思い出である。


それでは、本日のシャッフルクイズ。


『インチキさ(インチキサ)』


今度会ったら、答えを言ってね。
ヒント:大きな半島の名と同じ。