まちゃつの徒然日記

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荒木又右衛門&まちゃつ

寛永11(1634)年、伊賀上野、鍵屋の辻(かぎやのつじ)で決闘があった。討たれたのは、河合又五郎備前池田藩で同僚の渡辺源太夫を殺害し、出奔。藩主池田忠雄の遺命により、源太夫の兄、渡辺数馬が仇討ちの旅に出る。尊属以外の仇討ちは稀だったらしい。当時、仇討ちが成功しない限り帰還が許されないだけでなく、給与にあたる俸禄を相続することも認められない。
追われる方の又五郎には、槍の名手・河合甚左右衛門(大和郡山藩、元剣道師範:荒木又右衛門の先輩にあたる)らボディーガードが11名同行。荒木又右衛門は、大和郡山藩の剣道師範であったが、渡辺数馬(妻の弟で、父親同士は池田藩の同僚)から仇討ちの助太刀を頼まれる。岩本孫右衛門、河合武右衛門の2人を加え4人で又五郎を追い、この日を迎え本懐を遂げる。武右衛門は討ち死に。浄瑠璃、歌舞伎、映画で何度も取り上げられている日本三大仇討ちの一つだ。
伊賀越資料館(伊賀上野市)で荒木又右衛門の出自を読んでいると、まちゃつとの不思議な縁を感じた。又右衛門の父親は服部平左衛門、伊賀出身で備前池田藩で仕官が叶う。同じく備前藩士となる兄は服部弥五郎。又右衛門は次男だったため12歳で服部平兵衛の養子に、28歳で養家を離れ伊賀へ戻り、荒木姓を名乗るとある。生まれが服部郷、荒木村だったからか。まちゃつの先祖は、承応2年(1652)肥後で仕官が叶うまで伊賀にいた!(熊本にある墓石に彫られている)荒木姓の先祖がいたんだなぁ。



恒例のシャッフルクイズいきまーす。
ヒント:大阪市内にある。最近高い建物の陰に隠れて…。


『空転かっ?(クウテンカッ)』


今度会ったら、答えを言ってね。